2019年9月10日 (火)

メディチ家の饗宴 「ラ・ペレグリーナ」のためのインテルメディオ(1589年)

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「ラ・ペレグリーナ」のためのインテルメディオ(1589年)
アンドリュー・パロット指揮 タヴァナー・コンソート、タヴァナー・プレイヤーズ

 フィレンツェ・ルネサンスをときめくメディチ家。
 1589年、時のトスカーナ大公、フェルディナンド・デ・メディチⅠ世が、フランス王アンリ2世の孫娘クリスティーヌ・ド・ロレーヌを妃に迎えました。
 二人の結婚式では、ジローラモ・バロガグリ作による祝典喜劇「ラ・ペレグリーナ」が上演されます。そのための幕間劇として創られ、上演されたのが、この<「ラ・ペレグリーナ」のためのインテルメディオ>でした。
 このインテルメディオは、その楽曲やト書きなどが比較的よく残されていたため、こうして再現演奏が可能になったのです。

 全体は6部からなり、それぞれ合唱曲を中心としながら、独唱曲や器楽によるシンフォーニアなどを散りばめた、多彩な楽曲で構成されています。
 完成された円環の内部から、抑えがたい美意識の奔流がバロックの萌芽となって、ルネサンスの硬い殻を食い破ろうと蠢いていた16世紀末。声と楽器の饗宴ともいうべき、解放された音楽への情熱の感じられる、華やか、かつきらびやかな音楽が展開していきます。
 当時、すでにヴェネチアでは、ジョヴァンニ・ガブリエーリなどが活躍し、バロックの胎動が大きく生まれ始めていましたが、あのモンテヴェルディが、まだマドリガーレ集第1巻を発表(1587年)して間もないころ、すでにこうした華やかな音楽が響いていたということは意外です。

 詩と曲も、権勢を誇ったメディチ家お抱えの何人もの芸術家たちが腕を振るいました。歌詞の多くを書いた詩人は、フィレンツェから起こった芸術刷新運動「カメラータ」の中心人物でもあったオッタヴィオ・リヌッチーニ。また、曲の多くを書いたのは、クリストファノ・マルヴェッツィとルーカ・マレンツィオの二人の作曲家ですが、その他にも、歌曲「わがうるわしのアマリリ」で知られるジューリオ・カッチーニや、音楽史上最初のオペラを作曲したとされているヤコポ・ペーリなどの名前も見えます。
 まさに、世紀末フィレンツェの「夢の共演」というべき演奏でしょう。

 内容は、この地上に天界から調和の時代がもたらされ、ジョーヴェ(最高神ゼウス)が新たなフェルディナンドⅠ世大公夫妻を祝福する、といったストーリーが、全6部に分かれて演奏されていきます。
 第1インテルメディオ「天体のハルモニア」
 天より調和の化身が降り立ち、人間世界の統一を予言します。
 第2インテルメディオ「ピエリデスとミューズの歌合戦」
 ギリシャ神話の故事になぞらえて、大公妃の完全なる美の勝利を歌います。
 第3インテルメディオ「アポロンがデルフォイで怪物を退治する」
 ギリシャ神話の故事になぞらえて、新しい大公の力を誇示します。
 第4インテルメディオ「黄金時代が予言される」
 トスカーナ大公国の新たな時代の到来を歌います。
 第5インテルメディオ「アリオンとイルカ」
 ギリシャ神話の故事になぞらえて、先代のフランチェスコⅠ世の時代を風刺します。
 第6インテルメディオ「ジョーヴェから人間へ、リズムとハルモニアが贈られる」
 ジョーヴェの祝福を受けたフェルディナンド大公夫妻を讃え、その結婚を祝います。

 各インテルメディオの短い解説は私自身の解釈によるものであることをお断りしておきますが、全体のコンセプトがフェルディナント大公夫妻の結婚祝いとそのお追従であることを考えれば、それぞれの詩の持つ象徴性をかように理解することも可能なのではないかと思います。
 いっぽう、詩の特徴として、天界、調和、統一、真善美といったフレーズが多用されており、見方によっては、ルネサンス後期に花開いた新プラトン主義の音楽的表現とみるのも面白いかも知れません。

 さて、大公フェルディナンドⅠ世は、15歳という異例の若さで枢機卿に就任するほどの世智に長けた人物でしたが、兄である先代のトスカーナ大公、フランチェスコⅠ世の死を待ち兼ねていたかのように還俗し、大公フェルディナンドⅠ世として即位しました。
 それに先立つ1587年10月、大公フランチェスコⅠ世と、その妻ビアンカが、ポッジョ・エ・カイアーノにあるメディチの別荘で相次いで急死します。じつは、そこに居合わせていたのが、実弟のフェルディナンドだったため、黒い噂が立ちはじめます。
 世事に疎く、政治からも遠ざかり、錬金術に身を窶していた夢想家のフランチェスコ。政治的にも経済的にも低迷していた当時のフィレンツェを、実際家のフェルディナンドが苦々しく眺めていたのは容易に想像がつきます。
 彼は思ったかもしれません、この世に夢想家はいらない、必要なのは現実主義に立った指導者であると。そしてまた、彼の胸中には、トスカーナ大公の座という権力への意思もちらついたことでしょう。
 それだけではありません、フェルディナンドはかつて、聖職者の身分を備えた者であったにもかかわらず、兄の妻であるビアンカに言い寄り、激しく拒絶されたことがあったのです。つまり、自尊心の強いフェルディナンドにとって、ビアンカは許せない女となっていたのでした。
 ある晩、彼は恐ろしい計画を実行します。フランチェスコとビアンカの晩餐の食事とワインに毒を盛ったのです。はじめにフランチェスコが、次いでビアンカが床に伏し、やがて絶命します。
 その結果実現したのが、トスカーナ大公への就任と、冒頭に書いたフェルディナンドの結婚でした。このあたりの経緯については、中田耕治氏の著書『メディチ家の人びと‐ルネサンスの栄光と頽廃』(河出文庫)の「枢機卿の陰謀」の章に詳しいので、興味のある方はお読み頂ければと思います。
 黒い噂の顛末は以上のようなことですが、これはイタリア史における謎として、近年まで取沙汰されてきました。最近の調査では、二人は毒殺ではなくマラリアに感染したのではないか、という説が有力なようですが、黒い噂が完全に払しょくされたわけでもないようです。
 フェルディナンドの治世となり、兄フランチェスコのもとで一時停滞していたフィレンツェの政治と経済は勢いを取り戻しました。この枢機卿上がりで実務家肌のトスカーナ大公、フェルディナンドが本当に兄夫婦を殺害したのか否か、真実は神のみぞ知るということでしょう。この噂を信じるか信じないかによって、またこの音楽の印象も微妙に違ってくるかも知れません。

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2019年8月 3日 (土)

ブレシャネッロ『ティスベ』

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ジュゼッペ・アントニオ・ブレシャネッロ『ティスベ』
イェルク・ハンベルク指揮イル・ジュスト・バロッコ=シュトゥットガルト・バロックオーケストラ
cpo777 806-2

 

 この『ティスベ』の原典となったのは、古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』に収められている「ピュラモスとティスベ」の話です。
 二人はバビロンの町に住む恋人同士。けれども両家の折り合いが悪く、恋の成就が困難と覚った二人は駆け落ちをしようと考えます。待ち合わせ場所は暗闇迫る泉の桑の木のたもと。先にたどり着いたティスベが、ピュラモスの姿が見えないことに不安を覚えながらも待っていると、突然一頭のライオンが姿を現します。獲物を食べた直後らしく、牙は血糊で赤く染まっています。慌てたティスベは被っていたヴェールをその場に落として、森の中に逃げ込んでしまいます。その後に約束の場所に着いたのがピュラモスですが、そこには何と一頭のライオンが眠っていて、その傍らにはティスベが被っていたヴェールが血にまみれて落ちていました。ピュラモスは、ティスベがこのライオンに襲われて死んでしまったものと思い込み、絶望の余り手にしていた剣で自害してしまいます。ヴェールが血に汚れていたのは、獲物の血糊のついた口でライオンがそのヴェールと戯れたからにすぎなかったのですが、ピュラモスは勿論そんなことを知る由もありませんでした。やがてそこに戻って来たティスベは、最愛の恋人ピュラモスが自らの剣で自害している姿を見て悲嘆にかられ、自身もピュラモスの剣で自分を刺してこと切れます。後日、ことの全てを知った両家は、二人の恋に対する自分たちの無理解を悔やみ、二人をひとつの墓に弔い、和解するに至った、というのが原典のあらすじになります。
 すでにお気づきのことと思いますが、シェイクスピアの劇作『ロミオとジュリエット』はこれを翻案したものです。ことほどさように、「ピュラモスとティスベ」は当時のヨーロッパの人気テーマでした。マルコ・コッテリーニが翻案した台本には、あのハッセも曲を付けているほどです。
 さて、今回取り上げたブレシャネッロ作曲『ティスベ』の台本作者は、ピエル・ヤコポ・マルテッロです。17世紀後半から18世紀にかけて活躍した、ボローニャ生まれの詩人、劇作家であり、さらには外交官という顔も持っていました。もともと、この『ティスベ』は、実際のオペラ上演を予定してというわけではなく、マルテッロ本人が所属していたであろう人文主義サークルのために書かれたもののようです。そのため、台本は1697年には完成していたものの、ブレシャネッロが曲を付けたのはその20年後、シュトゥットガルトでオペラデビューを果たしたタイミングとなりました。
 ところで、マルテッロが書いたこの『ティスベ』の台本は、オイディウスの原典とは大いに異なっています。最終場面では、何とティスベがピュラモス(オペラではピュラモ)の後を追って死のうとしたとき、ピュラモが息を吹き返して、二人はめでたく生きて結ばれるという、原典とは真逆の設定になっているのです。その他にも、作中にはアルチェステとリコーリという二人の羊飼いの男女が登場し、奇妙な四角関係の中で物語が進行します。ティスベとピュラモが相思なのはもちろんですが、アルチェステはティスベに横恋慕し、リコーリはアルチェステを誘惑しようとするといった具合です。ただ、四角関係といっても登場人物はこの4人だけですので、すじはさほど複雑ではありません。また、4人の登場人物の性格描写がわかりやすいのも特徴で、恋する乙女そのもののようなティスベ、自由奔放な印象のリコーリ、直情的なアルチェステ、優男のようでじつは筋肉派のピュラモ(マルテッロの台本では、ライオンを相手に戦いついに殺してしまう)と、個性的な役ぞろいで、この作品を盛り上げています。
 Opera pastorale(牧歌劇)とは、物語の要素としては、素朴でのどかな田園趣味的舞台設定の中に人生の愛と死を描く手法のことで、羊飼いの男女が端役で登場し、物語に花を添えます。イタリア・ルネサンスのタッソやグァリーニといった詩人たちの作品がその祖です。いっぽう音楽的には、登場人物が比較的少数(3名ないし4名)であることと、全体として短めな構成になっているのが特徴ですが、形式としては通常のオペラと変わらることはありません。
 事実、このブレシャネッロ『ティスベ』の音楽の充実ぶりはたいへんなもので、堂々たる装いのフランス風序曲に始まり、いくつもの美しい旋律を持ったアリア、対照的な内容の2曲のコーロ、そして最終場の二重唱と飽きさせることがありません。とくに2曲目のコーロ「森をくまなく駆けまわれ…」など、音楽だけを耳にしていると、その壮麗さに、これがオペラの大団円かと勘違いしてしまうほどです。
 ブレシャネッロはイタリア出身の作曲家ですが、フィールドはドイツでした。時代的には大バッハが活躍していた頃とほぼ重なり、バロック音楽がその円熟を極めようとしていた時期です。この『ティスベ』一曲を聴いただけでも、バロックオペラの魅力にどっぷりと嵌まることが出来ます。
 演奏は、イェルク・ハルベックが通奏低音チェンバロの弾き振り、イル・ジュスト・バロッコ-シュトゥットガルト・バロックオーケストラの演奏、ベルンスタイナー、フェッリ=ベネディッティ、プファイファー、ベロットの4人のソリストによるものです。
 バロックのアンサンブルとしては、やや大きめの人数のようで、音には厚みがありますが嫌味に感じる程ではなく、音楽の進行自体はきびきびとしたものです。とても完成度の高い演奏という印象を受けました。音場感もよく、劇場で耳にしているかのような心地よさを感じることが出来ます。

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2019年6月16日 (日)

モンテヴェルディ『ウリッセの帰還』

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クラウディオ・モンテヴェルディ『ウリッセの帰還』
ルネ・ヤーコプス指揮コンチェルト・ヴォカーレ
HML5901427.29

 

 モンテヴェルディが作曲したオペラのうち、現代にまで残っているのは僅か3曲。弟子のカヴァッリなどに比べるとはるかに少ないにも関わらず、バロック・オペラの大家と呼ばれるのは、少なくともその音楽が現代にまで伝わっている作曲家のなかでは、彼がバロック・オペラの様式を確立したとみなされるからにほかなりません。
 感情表出と様式美の両立、神話や故事の世界を題材としたオペラ・セリア、要素としての語りと歌、音楽における声楽の優位など、時代が移り、例えばストラデッラからヘンデルへと、バロック・オペラそのものの様相が変化しても、変わることのないその本質を最初に体現したのがモンテヴェルディその人だからです。むろん、同時代には同じような音楽を書いた作曲家は他にもいますが、短い詩に音楽をつけるだけにとどまらず、叙事詩的な物語を音楽劇へと昇華させることが出来たのは、そうは多くなかったでしょう。そのような意味で、モンテヴェルディはバロック・オペラの確立者だったのです。

 

 『ウリッセの帰還』は、ホメ―ロスの叙事詩「オデュッセイア」の最終譚に題材を採っています。
 プロローグで、「時」「運命」「愛」に翻弄される人間のはかなさが歌われた後、物語は始まります。トロイア戦争に勝利したウリッセ(ギリシャ語でオデュッセウス、英語ではユリシーズ。ウリッセはイタリア語読みです)が、さまざまな苦難の旅路を経て、まさに二十年ぶりに故郷イタケーへとたどり着く。そこでは、妻ペネローペが夫の帰りを待ちわびていましたが、あまりにも長期に渡るウリッセの不在を良いことに、3人の求婚者がペネローペに言い寄っていました。ウリッセは、女神ミネルヴァの奸計により、求婚者たちの眼を欺くため、白髪の老人の姿に身を変えて彼らの前に登場します。また、ミネルヴァはウリッセへの助力を約束します。ペネローペは、求婚者たちに根負けし、ウリッセの残していった弓を引いた者と結婚する、と宣言します。しかし、強靭な力を必要とするその弓を、3人の誰も引くことは出来ません。そこへ老人に身をやつしたウリッセが登場し、自分にもその弓を引かせてくれ、と申し出、ミネルヴァの言葉通り、ついには3人の求婚者たちを放つ矢で殺してしまいます。
 息子テレーマコ、執事エウメーテはこの老人が実はウリッセであるということを知らされ、ペネローペにもそのことを伝えますが、彼女はそれを信じようとはしません。さらには、ペネローペの乳母エリクレアが、入浴する老人の背中に古傷があるのを認め、記憶の中にあるウリッセの傷のことと一致したため、そのことをペネローペに伝えますが、彼女は信じません。それどころか、ミネルヴァの魔法が解け、元の姿に戻ったウリッセを目の当たりにしても、これを幻術の仕業と誤解したペネローペは、眼前のウリッセに疑いの目を向けるのです。
 そこで、ウリッセは、記憶の中にあった、夫婦の寝室の情景のことを話します。夫婦のベッドには、ペネローペがその手で織った、女神ディアナとその眷属たちの刺繍が施された覆いが掛けられているはずであると。二人しか知らないはずの事実を聞いたペネローペは、漸く本当のウリッセであることを覚ります。
 台本作者はヴェネチア貴族であったジャコモ・バドアーロ。アマチュア詩人でもあった彼は、人文主義サークル「未知のアカデミア」の会員で、他にも同時代の作曲家のためにオペラ台本を書いていました。
 本作はプロローグと全5幕からなりますが、近年、舞台上演される際は、プロローグと全3幕に改編した版が用いられることも多いようです。
 いずれにしても、人間と神々が対等の感情的交流を見せる、ギリシャ神話の世界の一端を味わうことのできるこのオペラは、モンテヴェルディの大作ということもあり、何人もの音楽家が取り上げ、演奏していますが、私が推薦したいのは、やはりルネ・ヤーコプス指揮コンチェルト・ヴォカーレによるものです。自ら通奏低音チェンバロを弾き振りするヤーコプスは、修辞学の造詣も深く、求婚者の一人ピサンドロやプロローグで「人間」を歌うドミニク・ヴィス、寄食者役のギ・ド・メイ、絶望と矜持の狭間に揺れながら夫を待ちわびるペネローペを歌うベルナルダ・フィンク、そしてタイトルロールのクリストフ・プレガルディエンなどのそうそうたるメンバーの持ち味を、歌と語りの両面でいかんなく発揮する音楽づくりをしています。
 初期バロックオペラは、その再現が演奏者の裁量に任せられる要素が比較的大きい事が多く、その分、よく言えば実験的、ありていに言えば奇を衒った演奏もそれなりに受け容れられてしまうことが多いのですが、そうした中にあって、ヤーコプスはまず安心して聴ける音楽家であるといって間違いないでしょう。確かな音楽性と、響きの美しさ、適度な劇的表現を以て音楽を引っ張っていくその演奏は、このオペラのどこを聴いても、すぐにその作品世界の中に私たちを引き込んでいきます。ややもすれば、単調な表現に終始しがちな初期バロックオペラにおいて、聴き手を即座にその世界に没入させてしまうヤーコプスの表現力には、やはり脱帽の他はありません。

 

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2019年4月29日 (月)

ヘンデル『シッラ』

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ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル『シッラ』HWV10
ファビオ・ビオンディ指揮エウローパ・ガランテ
GLOSSA GCD923408

 ヘンデルのオペラ『シッラ』が作曲されたのは、1713年。傑作『リナルド』でロンドンの聴衆を虜にしてから、わずか2年後のことです。『リナルド』の成功をきっかけとして、ロンドンはイタリア・オペラ流行の渦中に呑みこまれていくわけですが、この『シッラ』はそのような状況のなかで書かれました。
 しかし、『シッラ』はこの時期のヘンデルオペラにしては非常に小ぶりな作品となっています。アリアや二重唱の数こそ、全体で24曲と遜色ありませんが、概ね短めにまとめられており、楽曲全体の演奏時間は約2時間ほどです。ほぼ同じ時期には、ヘンデルオペラ唯一の5幕ものの大作『テーセオ』、『ゴールのアマディージ』などの堂々たる作品が作曲されていることを考えると、これはちょっと不思議にも思えます。
 定説では、『シッラ』は2度目の渡英直後の1712年から1716年まで、ヘンデルが滞在していた第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイルの館おける私的上演のために作曲されたということになっているので、『シッラ』の小規模であることにもある程度納得がいくかも知れません。但し、クリストファー・ホグウッドは、『シッラ』の上演を1713年6月2日と特定しているものの、バーリントン伯爵邸での上演であった証拠は何も残されていない、としています。それでも、リチャード・ボイルは建築や芸術に造詣が深く、またヘンデルの音楽の良き理解者でもありましたから、ヘンデルがこの館で『シッラ』を上演したと推測することに大きな不自然はないとも言えるでしょう。
 小ぶりなオペラではありますが、音楽的にはとても充実しています。アリアはどれも美しく、至るところヘンデル節が満載です。ダカーポ・アリアが中心になるのは勿論のことですが、アリアが簡潔であること。そして、イタリア語を解しなかったであろう聴衆のために、レチタティーヴォの多くは会話を紡いでいくスタイルで全体的にも短めで、テンポよく進みます。そうした意味で言えば、目立たぬ作品ではあるものの、ヘンデルオペラの入門用として最適な作品であるということも出来るかも知れません。
 台本はジャコモ・ロッシ。ローマの執政官シッラは、政敵マリオに対する自身の戦勝により高慢に拍車がかかり、護民官レピードの妻フラーヴィアに手を出そうとしたり、マリオを尊敬する騎士クラウディオの恋人チェーリアを手籠めにしようと企んだり、さらには邪魔者レピードとクラウディオを残虐な方法で殺そうとするなどの暴君ぶりを示しますが、夫の暴走ぶりに心を痛めるその妻メテッラの愛にほだされて心を改め、ついには権力を手放すことを誓うという物語です。なお、モーツァルトのオペラ『ルーチョ・シッラ』も同じ人物を扱っていますが、ストーリーは全く別物ですので、念のため。
 アリアや二重唱はいずれも登場人物の心象風景をよく歌い上げています。第1幕で、恋人チェーリアへの切実な愛を訴えるクラウディオのアリア「どうか聞いておくれ、麗しき恋人よ」や、第2幕でシッラに言い寄られたフラーヴィアがそれを突っぱねる「私の心は波間の岩のごとく」、第3幕で、暴君ではあっても愛しい夫であるシッラに呼びかけるメテッラが歌う「愛するあなたに求めるものは」など、音楽も詞も素晴らしいものです。
もちろん、他のアリアもヘンデルらしさが際立つ良い音楽ばかりです。
 録音は、現在のところ、上記に掲載したビオンディ指揮エウローパ・ガランテによるものと、ダーロウ指揮ロンドンヘンデルオーケストラによるものの2種類が入手可能なようです。
 ビオンディ盤のほうは、アリアの最後にリタルダンド?をつけるなど、全般的に劇的効果を狙った演奏、ダーロウ盤は、イギリス風の手堅くまとめた演奏と言えそうです。

2019年2月17日 (日)

リュリ『ペルセ』1770年ヴェルサイユ版

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ジャン・バティスト・リュリ『ペルセ』
1770年ヴェルサイユ版
エルヴェ・ニケ指揮ル・コンセール・スピリトゥエル
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 ジャン・バティスト・リュリのオペラ『ペルセ』は、1682年に作曲されました。その翌年には、寵愛をほしいままにしていたルイ14世の秘書官にも任命されるなど、音楽家としても宮廷人としても、まさに絶頂を極めつつあった時期の作品です。
 オペラ作曲家としての前半、リュリはモリエールとコンビを組んで、コメディ・バレ(舞踏喜劇)で成功を博しました。しかし、興行収入の分配をめぐってモリエールを袂を分かって以後、リュリのスタイルを決定づけることになる、トラジェディ・リリク(叙情悲劇)の作風を確立したのです。
 舞踏喜劇は、音楽が俳優の台詞と演技によって中断される、演劇的要素の比較的濃い様式ですが、叙情悲劇は歌手が主役となり、全体を通じて音楽が物語を牽引する、音楽的により充実した形式を持っています。
 『ペルセ』はその叙情悲劇の代表作のひとつです。
 リュリはコルネイユなどの悲劇にも曲を付けていますが、叙情悲劇の台本のほとんどを書いたのは劇作家フィリップ・キノーでした。『ペルセ』もまた、キノーの手になるもので、リュリの成功は国王ルイ14世による支援に頼むところが大きかったのは言うまでもありませんが、秀逸な台本を提供した劇作家キノーのお蔭によるところも少なくはありません。
 物語は、ギリシャ・ローマ神話に登場する、英雄ペルセの活躍を縦糸に、ペルセの恋人アンドロメード、その許婚フィネ、ペルセのもと婚約者であったメロープらの四角関係、そのもつれる愛憎を横糸に展開します。ペルセによるゴルゴン、メデューサの退治譚、女神ジュノーの怒りによって海獣の餌食にされかかったアンドロメードの救出譚など、誰もが知る神話の世界が、濃密な物語に凝縮されてひとつの世界を形成しています。
 さて、今回取り上げたのは、この『ペルセ』の異色のバージョン、1770年ヴェルサイユ版です。
 作曲されて88年後の再演ですが、その契機となったのは、時のドーファン(王太子)の結婚でした。『ペルセ』のヴェルサイユ版は、この結婚のための機会オペラとして再演されたのです。このドーファンは、4年後の1774年、ブルボン朝第5代国王ルイ16世として即位することになりますので、この『ペルセ』を耳にした花嫁は、マリア・テレジアの娘、マリー・アントワネットということになります。
 まさに「ベルばら」の渦中に流れていた音楽、ということになるでしょうか。
 ヴェルサイユ版は、台本は1人の作家ニコラ・ルネ・ジョリボーによって、また音楽は同時代の3人の作曲家、アントワーン・ドーヴェルニュ、フランソワ・ルベルそしてベルナール・ド・ビュリによって、それぞれ改校訂されています。
 もちろん、全編の核になるのはリュリの音楽であるのは言うまでもありません。しかし、序曲や舞曲などの器楽曲の一部、そして物語の山場を形成する場面の音楽などは、これらの作曲家が差し替えています。クリスティアン・バッハばりの序曲に始まり、リュリの雅やかな音楽の流れのなかから、突然、当世風の歌やサンフォニーが飛び出てきます。若干違和感を伴う演出と感じる部分もありますが、聴きようによってはスリリングでもあります。とくに第4幕で、フィネがその恋敵ペルセと戦う場面のくだりは圧巻です。
 何より、当時、音楽は一種の消費物でしたから、このような形でではあれ、リュリの音楽が残されたというのは、彼の名声がいかばかりのものであったかということを物語っているでしょう。
 台本ですが、キノーによるオリジナルがプロローグに続く5幕ものであったのに対して、ジョリボーはルイ14世へのお追従を歌ったプロローグをカットし、さらに本編を4幕ものに改編しました。物語じたいはほとんど変わりません。ただ、フィネがペルセの命を狙っているとメロープが伝えに来る場面がカットされ、また、キノーの原作では、フィネとその手下たちは、ペルセが討ち取ったデューサの首を見せられて石に化してしまうのに対し、ジョリボーの改作では、武器を奪われ、窮地に立ったフィネは己の短剣を使って自害し、手下たちが四散して戦いが終わります。
 キノーのテキストに比較すると短めになっているとともに、神話的世界の物語ではなく、より人間的なストーリーに改編されている印象を受けます。
 
 演奏はエルヴェ・ニケ指揮、ル・コンセール・スピリトゥエルによるものです。
 2枚組CDのクレジットを確認すると、26本のヴァイオリン、8本のヴィオラ、16本のチェロ等、かなり大がかりなオーケストラ構成になっていることがわかります。また、合唱も総勢95名という規模であることに驚かされます。このあたりは、このヴェルサイユ版が、結婚式のための華やかな祝典音楽劇として再構成されたということを如実に物語っていると言えるでしょう。
 音楽的な統一性という点で聴けば、なかなか突っ込みどころのある版ではありますが、これはこれで話題性のある録音であることに間違いはないと思います。
 
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2018年5月 6日 (日)

ヘンデル『タメルラーノ』

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ジョージ・フレデリック・ヘンデル『タメルラーノ』
トレヴァー・ピノック指揮ザ・イングリッシュコンサート
ARTHAUS MUSIK 100703

 

 この『タメルラーノ』は、ロンドンにおけるイタリアオペラのプロデューサとして飛ぶ鳥を落とす勢いのあったときに書かれた作品です。
 秀作『ジューリオ・チェーザレ』の成功に気をよくしたヘンデルが、やはりヘンデルのオペラにいくつもの作品を提供している台本作家、ニコラフランチェスコ・ハイムによる台本を念入りにチェックし、歌詞やストーリーに適した曲を練り上げて、1724年に満を持してロンドンの聴衆に届けたものでした。
 予想通りこのオペラはヒットを飛ばし、10回以上の再演をみています。
 物語は、1402年の「アンカラの戦い」で、ティムール帝国の盟主タメルラーノが捕虜としたオスマントルコの王バヤゼットとの確執、その娘アステリアに対するタメルラーノの横恋慕を縦軸に、アステリアの婚約者であるにもかかわらずタメルラーノに取り込まれそうになるギリシャの王子アンドロニコ、タメルラーノの許婚として自らの誇りを護ろうとするトレビゾンの王女イレーネなどの関わりが横軸となって進行します。
 オペラのタイトルはティムール皇帝タメルラーノから取られていますが、物語としてみても音楽的にも、主役はバヤゼットであるのは間違いありません。
 捕虜となったことの無念、ともに捕囚の身となった娘への思い、オスマンの王としての矜持、そしてタメルラーノへの激しい怒り、これらの感情が歌われるバヤゼットの曲はどれも秀逸です。とくに第3幕で、タメルラーノからの侮辱から己の誇りを護るために自ら毒を仰ごうとする場面、復讐への執念と怨念の塊に化したような、その鬼気迫る様子はただ事ではなく、まさに鳥肌が立ってくるような名場面と言えるでしょう。
 この時代のロンドンのオペラで主役を張るのはご多分にもれずカストラートかソプラノのプリマドンナでしたが、めずらしくテノールが歌うバヤゼットが主役であるにもかかわらず成功をおさめることが出来たのは、このバヤゼットの役柄の魅力が大きかったのかったのではないかと思えます。
 タメルラーノからの保護とアステリアへの愛との間で煩悶するギリシャ王子アンドロニコ役は、カウンターテナーが歌います。こうした優柔不断な男役はやはりカウンターテナーの独壇場です。しかし役回りとしてはどこか情けないアンドロニコですが、割り当てられたアリアは、どれも美しいものばかりとなっています。
 タイトルロールのタメルラーノは、残忍な暴君というより、言い出したら聞かないやんちゃ坊主といった感じの仕上がり、それに対して、囚われの王女アステリアは悲しみに満ちたアリアを幾つも聞かせます。
 もうひとつ特記すべきは、このオペラの大団円のことでしょう。バヤゼットが毒を仰ぎ、その父を追いかけてアステリアが舞台から退場した後、残された歌手だけが短調の合唱曲を歌って幕となるという構成になっているのです。苦悩の日々が過ぎて愛と希望が復活するといったハッピーエンドの終幕に慣れてしまった感覚からすると、どこかキツネにつままれたような気分になってしまったのは事実です。
 演出を担当したのはジョナサン・ミラーで、使われた劇場が小さいためか、歌手達の動きはあまり多くありません。その代わり、衣装がとても見事で、バロックオペラの映像タイトルで、歌手の衣装や装身具にここまで細部のこだわりを見せた演出というのは、他にあまり例がないように思います。
 演奏はピノックとその手兵イングリッシュコンサートなので、これはもう安心して聴けるというものでしょう。

 

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2017年10月15日 (日)

クラウディオ・モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』

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クラウディオ・モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』
ルネ・ヤーコプス指揮コンチェルト・ヴォカーレ
harmoniamundi FRANCE HML5901330 (旧版901330.32)

 

812

クラウディオ・モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』
ニコラウス・アーノンクール指揮チューリヒ歌劇場モンテヴェルディ・アンサンブル
Deutsche Grammophon UCBG1220/1

 

 モンテヴェルディは、厳格な対位法にもとづくルネサンス・ポリフォニー様式の宗教曲やマドリガーレの作曲家として登場し、後にその様式を徐々に変化させて、より自由な構成による初期バロック音楽の大家として音楽史に名を残しました。
 『ポッペアの戴冠』は、そのモンテヴェルディ最晩年の手になるオペラであり、1642年に作曲され、ヴェネチアにおいて初演されました。今日でも、初期バロックオペラの最大傑作としての名声が確立されている作品です。
 一般的にバロックオペラというと、後期バロック時代の、レチタティーヴォ(語り)とアリア(歌)が明確に区別された様式を想起します。しかし、モンテヴェルディのオペラは、「語り」と「歌」が明瞭に区分されているわけではありません。確かに、語りもあれば歌もある。しかし、その両者の要素が渾然一体となった、「歌うように語り」「語るように歌う」フレーズが、途切れることなく、ひと続きの河の流れのように展開し、大きな音楽世界、物語世界の形作っているところに、モンテヴェルディ(あるいは初期バロック)のオペラ作品の不思議な魅力が生まれているといってもいいでしょう。
 こうした初期バロック音楽の作法は、レチタール・カンタンドと呼ばれ、ルネサンス・ポリフォニー様式の厳格な対位法の世界から抜け出て、より自由な音楽表現を求めたところに花開きました。モンテヴェルディのオペラ作品もその系譜に位置づけることができます。モンテヴェルディはそのレチタール・カンタンド様式をより洗練させ、その後のバロックオペラの隆盛の基礎を創り上げる役割を果たしました。オペラはその後、「語り」が物語の進行を、「歌」が登場人物の内面を表出するという役割分担をおこなうことで、やがてヘンデルやハッセのような、レチタティーヴォ(語り)とアリア(歌)に整理された様式へと変化していきました。

 

 さて、このオペラには、ナポリ稿とヴェネチア稿という二種類の写譜が残されていますが、いずれも歌詞と低音部だけしか記譜されておらず、そのため、演奏者は楽器やオーケストレーションを独自に工夫しなければなりません。いわば、演奏者の独自性がそのまま顕現される作品という面白さがあります。
 ヤーコプスのCDは、1990年、モンペリエ歌劇場でのライヴ録音版です。私個人としては、このオペラのメディアタイトルのなかでも一番に挙げたい演奏です。コンティヌオを中心とした古楽器の響きの美しさもさることながら、的確なテンポ設定と、差し挟まれる管弦楽のシンフォニアやリトルネッロの流暢さ、楽器と声のバランス、語りと歌の一連の流れが素晴らしい音楽的まとまりを作っています。器楽の使用は比較的控えめなのですが、それが劇的な物語空間の緊張感を作り出しているのです。シリアスな場面とコミカルな場面の転換も嫌味や違和感なく楽しめます。タイトルロールを歌うボルスをはじめとする歌手たちも文句なく、おそらくヤーコプスの録音のなかでも会心作といえるものではないでしょうか。
 いっぽう、ポネル演出、アーノンクールによるDVDは、1978年に製作されたオペラ映画です。比較的古い映像なので粗さも目立ちますが、ライヴ映像ではない分、計画的に創り込まれた映像の面白さを味わうことが出来ます。例えば、序章の運命、徳、愛の寓意的登場人物が、随時物語の進行に関わるところや、登場人物たちの仕草、表情を切り取ったカットは物語の進行の理解を助けてくれます。
 音楽的には、ネローネをテノールのエリック・タピーに配しているのが特徴です。役との整合性という点では納得のいく采配でしょう。あと、フッテンロッハーやアライサなどのビッグネームがチョイ役で出ているのには驚きました。器楽の陣容は、映像を見る限りでは古楽器と現代楽器が混じっており、演奏に関してはやや分厚いオーケストレーションで処理しているのは時代を感じさせます。
 ヤーコプス盤は、音楽的なまとまりと美しさにおいて完璧を感じさせる演奏です。録音後27年という時間の経過をまったく感じさせるところがありません。モンテヴェルディ・オペラの演奏史において、ひとつの金字塔を打ち立てていると言っても過言ではないと思います。
 アーノンクール盤のほうは、「ポッペアの戴冠」というオペラ黎明期の作品を、音楽史の博物館の展示室の中から、現代の聴衆の前にいきいきと再現して見せてくれた、記念碑的な演奏であると言うことが出来るかも知れません。 

2012年12月31日 (月)

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ『フルート協奏曲集』

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カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ『フルート協奏曲集』
 
 
トン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック管弦楽団
ERATO 2292-45353-2
 
 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、あの大バッハが先妻マリア・バルバラとの間にもうけた第二子です。バッハの息子たちは、その多くが音楽家として成長していますが、なかでもカール・フィリップ・エマヌエルはひときわ豊かな才能に恵まれていました。ベルリンに赴き、啓蒙専制君主として歴史に名を残したフリードリヒ2世(フリードリヒ大王)に仕え、さらには大作曲家テレマンの後任としてハンブルク市の音楽監督に就任しています。こうした経歴からみても、彼がいかに成功した音楽家であったかが納得されるでしょう。
 このCDに収められている「フルート協奏曲」は、彼がベルリンにいた頃に作曲されたもので、フルートの名手でもあったフリードリヒ2世のために書かれたものと思われます。
 
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画家メンツェルの描いた「サン・スーシ宮のフルート演奏」という絵画がありますが、音楽にも造詣の深かったフリードリヒ2世の宮廷の様子を生き生きと描き出しています。画面の中央でフルートを演奏しているのが、フリードリヒ2世その人。右側で、背中をむけてチェンバロの前に座っているのが、エマヌエル・バッハだと言われています。さらには、画面の左奥には、フリードリヒ2世に近代合理精神を講義したヴォルテールも描かれています。
 さて、エマヌエルバッハは、協奏曲のみならず、シンフォニアやクラヴィーアのための独奏曲など、さまざまな楽曲を書いていますが、いずれも、彼特有のファンタジックな曲相、ダイナミックな面白さをいかんなく発揮した曲となっています。疾風怒濤を思わせる旋律の変化など、彼の音楽は「多感様式」と呼ばれ、ハイドンやベートーヴェンに影響を与えたとされていますが、それも頷けるところです。
 ところが、父親のバッハは、このよく出来た息子のことをあまり評価していなかったらしく、「あいつは時流に乗っていい気になっている。そのうち行き詰まるだろう」という意味のことを語ったと伝えられています。音楽評論家であったヨハン・アドルフ・シャイベが自著『批評的音楽家』のなかで、父バッハの音楽を時代遅れと酷評したのは、1737年のことでした。息子のエマヌエル・バッハは既に作曲活動を始めており、その3年後には、ベルリンの宮廷でフリードリヒ大王の音楽教師となり、時代の寵児への階段を駆け登り始めます。さきに書いたように、テレマンにもその才能を買われた彼は、当時、父バッハよりもはるかに人気のある売れっ子作曲家となっていました。
 対位法を中心とした父バッハの音楽は、既に古風なものとして流行から外れていましたが、しかし父バッハは、頑ななまでに自らの音楽を追及するかのように、時代が求める作風とはまさに対極を行く、「フーガの技法」や「音楽の捧げもの」等、純粋な音楽的世界の探求に突き進んでいったのです。
 親と子の世代の確執というのは、どの世界にも、いつの時代にもあったということでしょうか。
 さて、手兵のアムステルダム・バロック管弦楽団を指揮するトン・コープマンは、オランダ出身のチェンバロ・オルガン奏者で、レオンハルトに師事した、いわば古楽演奏の第2世代の代表格です。このCDでは、通奏低音チェンバロを演奏しながらの「弾き振り」を披露していますが、そのチェンバロの雄弁な語りがこの演奏の何よりの醍醐味といってよく、エマヌエル・バッハのギャラントな曲想との相性は抜群で、その自由闊達さはまるでジャズ演奏を彷彿とさせるほどです。
 いっぽう、ソリストであるコンラート・ヒュンテラーのフルート演奏は、それに対し、華やかでいながら折り目正しく、コープマンの無邪気とも思える奔放さと好対照をなしていて、演奏全体のまとまりをうまい具合に作り出しています。
 このあたりの妙を聴くのも、このCDの楽しみと言えるかも知れません。
 
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2012年10月25日 (木)

ドラランド『王の晩餐のためのサンフォニー』

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ドラランド『王の晩餐のためのサンフォニー』

ヒューゴ・レーヌ指揮、アンサンブル・サンフォニー・デュ・マレ harmonia mundi France HMC901337.40

 フランスの絶対王政を築いた太陽王ルイ14世の時代の音楽家といえば、その寵愛を傘に着てヴェルサイユの音楽活動を牛耳ったリュリが代表格と言えますが、ここに紹介するミシェル・リシャール・ドラランドも、ルイ王朝における重要な音楽家の一人です。ドラランドもまた、ルイ14世の信任篤く、その王女の音楽教師に任ぜられました。
 リュリは、台本作家モリエールとの確執にみるように、ヴェルサイユにおける自己の芸術上の影響力の強化のためには手段を選ばぬ策略家でした。様々な方法を使って、自分以外の音楽家や芸術家が宮廷内で強い影響力を持つことを排除しようとしました。しかし、ドラランドは、リュリによる妨害工作などを受けることはなく、王室礼拝堂の楽長としてその生涯を終えています。リュリは、ドラランドの才能が、宮廷内における自分の立場を凌駕するほどのものではないと軽く考えていたのでしょうか。おそらくそうではなく、ドラランドの主な活躍の場が宗教音楽であったことがその理由ではないかと思います。劇音楽家リュリはオペラ上演権の独占に固執しましたが、礼拝堂の仕事を主とするドラランドとの間には、うまい具合に分業が成り立っていたのでしょう。
 したがって、ドラランドのすぐれた仕事はおもに宗教音楽の分野に集中していますが、世俗の楽曲にも優れたものがあります。ここにとりあげるCD「王の晩餐のためのサンフォニー」もそのひとつです。名前のごとく、ルイ14世の晩餐を飾った器楽合奏曲集で、その性格からして、肩の凝らない、それでいてフランス古典音楽ならではの優雅な気品と愉悦に満ちています。冒頭の、壮麗なトランペットとティンパニによるファンファーレは、太陽王ルイ14世の堂々たる入場を想像させます。続く軽やかなエールは、贅沢な料理が次々と食卓に運ばれてきては並べられる様を描いているようで、その光景を思い浮かべるだけで豪華な気分になってしまいます。ジグやロンドー、パッサカリー。多才な舞曲楽章に彩られ、時折差し挟まれるカスタネットや鈴などの鳴り物も楽しく、時の経つのを忘れさせます。王の前では、この音楽に合わせ、華やかなバレも披露されたのではないでしょうか。この曲集は、何処から聴き始めても、何処で聴き終えても、最高の趣を私たちにもたらしてくれます。ルイ14世崩御の後、ルイ15世の御代までヴェルサイユ宮殿の晩餐を飾ったと言いますから、まさに宮廷雅楽の決定版といったところでしょう。
 このCDは、「アンサンブル・サンフォニー・デュ・マレ」と指揮者ヒューゴ・レーヌのデビュー作でした。レーヌは、リコーダー奏者でもありますので、指揮だけでなく、リコーダーでもこのCDの録音に参加しています。しっとりした滋味と、舞曲の特性をいかすメリハリのあるリズム感で、CD4枚組という分量にもかかわらず飽きることがありません。
 なお、現時点では、HMV、タワーレコード、Amazonいずれのカタログにも、ここで紹介した全曲盤は見あたらず、CD1枚に納めた抜粋盤(harmonia mundi France HMA1951303)のみとなっています。残念なことで、一日もはやく全曲盤の復刻がされることを望みたいと思います。

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2012年9月15日 (土)

カール・ミュンヒンガー指揮・シュトゥッツガルト室内管弦楽団『古典派フルート協奏曲集』

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カール・ミュンヒンガー指揮・シュトゥッツガルト室内管弦楽団『古典派フルート協奏曲集』LONDON POCL-2117

 このCDに納められているのは、伝ペルゴレージ、エマヌエル・バッハ、チマローザといった作曲家たちの作品なので、タイトルとしては正確とは言い得ないかも知れません。唯一、チマローザの作品だけは、古典派の装いを端正に身に纏っていますが、他の二人は、音楽史的には「前古典派」に位置づけられる作曲家であると言えるからです。
 「前古典派」とは、分かりやすく言えば、バロックから古典派への中間に位置する時代、作曲家の名前で言うなら、大バッハあるいはヘンデルと、モーツァルトやハイドンの間に活躍した作曲家の属する時代です。なお、ペルゴレージのフルート協奏曲2曲に関しては、彼の真作ではないらしいことが分かっていますが、誰の作品であるかは究明されていません。
 これらの作曲家については、また別の項目で取り上げることもあると思いますので、ここではおもに演奏者であるカール・ミュンヒンガーについてふれておきましょう。
 指揮者であるミュンヒンガーは、1945年にシュトゥッツガルト室内管弦楽団を結成し、バッハやビバルディなどのバロック音楽の復興に先鞭をつけました。その演奏は、軽快で衒いなく、誰の耳にも心地よく響くもので、大戦で疲弊した多くの人々の心の慰めとなったに違いありません。そんなミュンヒンガーの活躍がひとつの契機となり、戦後のバロック音楽ブームが到来したのです。私たちがよく知っている、イ・ムジチ合奏団やイ・ソリスティ・ベネティ合奏団なども、そのなかで頭角を現してきました。
 ミュンヒンガーの演奏スタイルは、様式的には両大戦間に定着した新即物主義の理念を更に洗練させたものであるように思えます。それまでのロマン主義的な音楽解釈への反動として、できるだけ楽譜に忠実に、そして主観を排して作品そのものの姿を浮かび上がらせようとしたのです。もちろんモダン楽器を使用していますが、ひとつひとつの音符を丁寧に処理していく、しかも音楽的に。芸術家という以上に、職人的とさえ言える生真面目さが伺えます。万人に受け入れられる心地よい音楽づくりが成功したのも、そのような姿勢の結果であると言えるでしょう。このようなミュンヒンガーの演奏については、没個性的、ただのBGMである、などといった批判があるのも事実です。また、大規模なオーケストラを指揮した録音などは、失敗作との評価も受けました。バロック音楽を職人的な丁寧さで演奏することを得意とするミュンヒンガーの音楽性からすれば、相性の問題がでてくるのも無理からぬところでしょう。しかし、このCDを聴いても伝わってくる、「音楽の愉しさ」を戦後の人々に印象づけたのは、何といっても彼の大きな功績であるのは間違いありません。様式的にも、ミュンヒンガーの存在があったからこそ、今日のオリジナル主義によるバロック音楽演奏の隆盛が準備されたといっても良いと思います。 

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