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2019年6月16日 (日)

モンテヴェルディ『ウリッセの帰還』

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クラウディオ・モンテヴェルディ『ウリッセの帰還』
ルネ・ヤーコプス指揮コンチェルト・ヴォカーレ
HML5901427.29

 

 モンテヴェルディが作曲したオペラのうち、現代にまで残っているのは僅か3曲。弟子のカヴァッリなどに比べるとはるかに少ないにも関わらず、バロック・オペラの大家と呼ばれるのは、少なくともその音楽が現代にまで伝わっている作曲家のなかでは、彼がバロック・オペラの様式を確立したとみなされるからにほかなりません。
 感情表出と様式美の両立、神話や故事の世界を題材としたオペラ・セリア、要素としての語りと歌、音楽における声楽の優位など、時代が移り、例えばストラデッラからヘンデルへと、バロック・オペラそのものの様相が変化しても、変わることのないその本質を最初に体現したのがモンテヴェルディその人だからです。むろん、同時代には同じような音楽を書いた作曲家は他にもいますが、短い詩に音楽をつけるだけにとどまらず、叙事詩的な物語を音楽劇へと昇華させることが出来たのは、そうは多くなかったでしょう。そのような意味で、モンテヴェルディはバロック・オペラの確立者だったのです。

 

 『ウリッセの帰還』は、ホメ―ロスの叙事詩「オデュッセイア」の最終譚に題材を採っています。
 プロローグで、「時」「運命」「愛」に翻弄される人間のはかなさが歌われた後、物語は始まります。トロイア戦争に勝利したウリッセ(ギリシャ語でオデュッセウス、英語ではユリシーズ。ウリッセはイタリア語読みです)が、さまざまな苦難の旅路を経て、まさに二十年ぶりに故郷イタケーへとたどり着く。そこでは、妻ペネローペが夫の帰りを待ちわびていましたが、あまりにも長期に渡るウリッセの不在を良いことに、3人の求婚者がペネローペに言い寄っていました。ウリッセは、女神ミネルヴァの奸計により、求婚者たちの眼を欺くため、白髪の老人の姿に身を変えて彼らの前に登場します。また、ミネルヴァはウリッセへの助力を約束します。ペネローペは、求婚者たちに根負けし、ウリッセの残していった弓を引いた者と結婚する、と宣言します。しかし、強靭な力を必要とするその弓を、3人の誰も引くことは出来ません。そこへ老人に身をやつしたウリッセが登場し、自分にもその弓を引かせてくれ、と申し出、ミネルヴァの言葉通り、ついには3人の求婚者たちを放つ矢で殺してしまいます。
 息子テレーマコ、執事エウメーテはこの老人が実はウリッセであるということを知らされ、ペネローペにもそのことを伝えますが、彼女はそれを信じようとはしません。さらには、ペネローペの乳母エリクレアが、入浴する老人の背中に古傷があるのを認め、記憶の中にあるウリッセの傷のことと一致したため、そのことをペネローペに伝えますが、彼女は信じません。それどころか、ミネルヴァの魔法が解け、元の姿に戻ったウリッセを目の当たりにしても、これを幻術の仕業と誤解したペネローペは、眼前のウリッセに疑いの目を向けるのです。
 そこで、ウリッセは、記憶の中にあった、夫婦の寝室の情景のことを話します。夫婦のベッドには、ペネローペがその手で織った、女神ディアナとその眷属たちの刺繍が施された覆いが掛けられているはずであると。二人しか知らないはずの事実を聞いたペネローペは、漸く本当のウリッセであることを覚ります。
 台本作者はヴェネチア貴族であったジャコモ・バドアーロ。アマチュア詩人でもあった彼は、人文主義サークル「未知のアカデミア」の会員で、他にも同時代の作曲家のためにオペラ台本を書いていました。
 本作はプロローグと全5幕からなりますが、近年、舞台上演される際は、プロローグと全3幕に改編した版が用いられることも多いようです。
 いずれにしても、人間と神々が対等の感情的交流を見せる、ギリシャ神話の世界の一端を味わうことのできるこのオペラは、モンテヴェルディの大作ということもあり、何人もの音楽家が取り上げ、演奏していますが、私が推薦したいのは、やはりルネ・ヤーコプス指揮コンチェルト・ヴォカーレによるものです。自ら通奏低音チェンバロを弾き振りするヤーコプスは、修辞学の造詣も深く、求婚者の一人ピサンドロやプロローグで「人間」を歌うドミニク・ヴィス、寄食者役のギ・ド・メイ、絶望と矜持の狭間に揺れながら夫を待ちわびるペネローペを歌うベルナルダ・フィンク、そしてタイトルロールのクリストフ・プレガルディエンなどのそうそうたるメンバーの持ち味を、歌と語りの両面でいかんなく発揮する音楽づくりをしています。
 初期バロックオペラは、その再現が演奏者の裁量に任せられる要素が比較的大きい事が多く、その分、よく言えば実験的、ありていに言えば奇を衒った演奏もそれなりに受け容れられてしまうことが多いのですが、そうした中にあって、ヤーコプスはまず安心して聴ける音楽家であるといって間違いないでしょう。確かな音楽性と、響きの美しさ、適度な劇的表現を以て音楽を引っ張っていくその演奏は、このオペラのどこを聴いても、すぐにその作品世界の中に私たちを引き込んでいきます。ややもすれば、単調な表現に終始しがちな初期バロックオペラにおいて、聴き手を即座にその世界に没入させてしまうヤーコプスの表現力には、やはり脱帽の他はありません。

 

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