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2018年5月 6日 (日)

ヘンデル『タメルラーノ』

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ジョージ・フレデリック・ヘンデル『タメルラーノ』
トレヴァー・ピノック指揮ザ・イングリッシュコンサート
ARTHAUS MUSIK 100703

 この『タメルラーノ』は、ロンドンにおけるイタリアオペラのプロデューサとして飛ぶ鳥を落とす勢いのあったときに書かれた作品です。
 秀作『ジューリオ・チェーザレ』の成功に気をよくしたヘンデルが、やはりヘンデルのオペラにいくつもの作品を提供している台本作家、ニコラフランチェスコ・ハイムによる台本を念入りにチェックし、歌詞やストーリーに適した曲を練り上げて、1724年に満を持してロンドンの聴衆に届けたものでした。
 予想通りこのオペラはヒットを飛ばし、10回以上の再演をみています。
 物語は、1402年の「アンカラの戦い」で、ティムール帝国の盟主タメルラーノが捕虜としたオスマントルコの王バヤゼットとの確執、その娘アステリアに対するタメルラーノの横恋慕を縦軸に、アステリアの婚約者であるにもかかわらずタメルラーノに取り込まれそうになるギリシャの王子アンドロニコ、タメルラーノの許婚として自らの誇りを護ろうとするトレビゾンの王女イレーネなどの関わりが横軸となって進行します。
 オペラのタイトルはティムール皇帝タメルラーノから取られていますが、物語としてみても音楽的にも、主役はバヤゼットであるのは間違いありません。
 捕虜となったことの無念、ともに捕囚の身となった娘への思い、オスマンの王としての矜持、そしてタメルラーノへの激しい怒り、これらの感情が歌われるバヤゼットの曲はどれも秀逸です。とくに第3幕で、タメルラーノからの侮辱から己の誇りを護るために自ら毒を仰ごうとする場面、復讐への執念と怨念の塊に化したような、その鬼気迫る様子はただ事ではなく、まさに鳥肌が立ってくるような名場面と言えるでしょう。
 この時代のロンドンのオペラで主役を張るのはご多分にもれずカストラートかソプラノのプリマドンナでしたが、めずらしくテノールが歌うバヤゼットが主役であるにもかかわらず成功をおさめることが出来たのは、このバヤゼットの役柄の魅力が大きかったのかったのではないかと思えます。
 タメルラーノからの保護とアステリアへの愛との間で煩悶するギリシャ王子アンドロニコ役は、カウンターテナーが歌います。こうした優柔不断な男役はやはりカウンターテナーの独壇場です。しかし役回りとしてはどこか情けないアンドロニコですが、割り当てられたアリアは、どれも美しいものばかりとなっています。
 タイトルロールのタメルラーノは、残忍な暴君というより、言い出したら聞かないやんちゃ坊主といった感じの仕上がり、それに対して、囚われの王女アステリアは悲しみに満ちたアリアを幾つも聞かせます。
 もうひとつ特記すべきは、このオペラの大団円のことでしょう。バヤゼットが毒を仰ぎ、その父を追いかけてアステリアが舞台から退場した後、残された歌手だけが短調の合唱曲を歌って幕となるという構成になっているのです。苦悩の日々が過ぎて愛と希望が復活するといったハッピーエンドの終幕に慣れてしまった感覚からすると、どこかキツネにつままれたような気分になってしまったのは事実です。
 演出を担当したのはジョナサン・ミラーで、使われた劇場が小さいためか、歌手達の動きはあまり多くありません。その代わり、衣装がとても見事で、バロックオペラの映像タイトルで、歌手の衣装や装身具にここまで細部のこだわりを見せた演出というのは、他にあまり例がないように思います。
 演奏はピノックとその手兵イングリッシュコンサートなので、これはもう安心して聴けるというものでしょう。

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