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2019年9月10日 (火)

メディチ家の饗宴 「ラ・ペレグリーナ」のためのインテルメディオ(1589年)

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「ラ・ペレグリーナ」のためのインテルメディオ(1589年)
アンドリュー・パロット指揮 タヴァナー・コンソート、タヴァナー・プレイヤーズ

 フィレンツェ・ルネサンスをときめくメディチ家。
 1589年、時のトスカーナ大公、フェルディナンド・デ・メディチⅠ世が、フランス王アンリ2世の孫娘クリスティーヌ・ド・ロレーヌを妃に迎えました。
 二人の結婚式では、ジローラモ・バロガグリ作による祝典喜劇「ラ・ペレグリーナ」が上演されます。そのための幕間劇として創られ、上演されたのが、この<「ラ・ペレグリーナ」のためのインテルメディオ>でした。
 このインテルメディオは、その楽曲やト書きなどが比較的よく残されていたため、こうして再現演奏が可能になったのです。

 全体は6部からなり、それぞれ合唱曲を中心としながら、独唱曲や器楽によるシンフォーニアなどを散りばめた、多彩な楽曲で構成されています。
 完成された円環の内部から、抑えがたい美意識の奔流がバロックの萌芽となって、ルネサンスの硬い殻を食い破ろうと蠢いていた16世紀末。声と楽器の饗宴ともいうべき、解放された音楽への情熱の感じられる、華やか、かつきらびやかな音楽が展開していきます。
 当時、すでにヴェネチアでは、ジョヴァンニ・ガブリエーリなどが活躍し、バロックの胎動が大きく生まれ始めていましたが、あのモンテヴェルディが、まだマドリガーレ集第1巻を発表(1587年)して間もないころ、すでにこうした華やかな音楽が響いていたということは意外です。

 詩と曲も、権勢を誇ったメディチ家お抱えの何人もの芸術家たちが腕を振るいました。歌詞の多くを書いた詩人は、フィレンツェから起こった芸術刷新運動「カメラータ」の中心人物でもあったオッタヴィオ・リヌッチーニ。また、曲の多くを書いたのは、クリストファノ・マルヴェッツィとルーカ・マレンツィオの二人の作曲家ですが、その他にも、歌曲「わがうるわしのアマリリ」で知られるジューリオ・カッチーニや、音楽史上最初のオペラを作曲したとされているヤコポ・ペーリなどの名前も見えます。
 まさに、世紀末フィレンツェの「夢の共演」というべき演奏でしょう。

 内容は、この地上に天界から調和の時代がもたらされ、ジョーヴェ(最高神ゼウス)が新たなフェルディナンドⅠ世大公夫妻を祝福する、といったストーリーが、全6部に分かれて演奏されていきます。
 第1インテルメディオ「天体のハルモニア」
 天より調和の化身が降り立ち、人間世界の統一を予言します。
 第2インテルメディオ「ピエリデスとミューズの歌合戦」
 ギリシャ神話の故事になぞらえて、大公妃の完全なる美の勝利を歌います。
 第3インテルメディオ「アポロンがデルフォイで怪物を退治する」
 ギリシャ神話の故事になぞらえて、新しい大公の力を誇示します。
 第4インテルメディオ「黄金時代が予言される」
 トスカーナ大公国の新たな時代の到来を歌います。
 第5インテルメディオ「アリオンとイルカ」
 ギリシャ神話の故事になぞらえて、先代のフランチェスコⅠ世の時代を風刺します。
 第6インテルメディオ「ジョーヴェから人間へ、リズムとハルモニアが贈られる」
 ジョーヴェの祝福を受けたフェルディナンド大公夫妻を讃え、その結婚を祝います。

 各インテルメディオの短い解説は私自身の解釈によるものであることをお断りしておきますが、全体のコンセプトがフェルディナント大公夫妻の結婚祝いとそのお追従であることを考えれば、それぞれの詩の持つ象徴性をかように理解することも可能なのではないかと思います。
 いっぽう、詩の特徴として、天界、調和、統一、真善美といったフレーズが多用されており、見方によっては、ルネサンス後期に花開いた新プラトン主義の音楽的表現とみるのも面白いかも知れません。

 さて、大公フェルディナンドⅠ世は、15歳という異例の若さで枢機卿に就任するほどの世智に長けた人物でしたが、兄である先代のトスカーナ大公、フランチェスコⅠ世の死を待ち兼ねていたかのように還俗し、大公フェルディナンドⅠ世として即位しました。
 それに先立つ1587年10月、大公フランチェスコⅠ世と、その妻ビアンカが、ポッジョ・エ・カイアーノにあるメディチの別荘で相次いで急死します。じつは、そこに居合わせていたのが、実弟のフェルディナンドだったため、黒い噂が立ちはじめます。
 世事に疎く、政治からも遠ざかり、錬金術に身を窶していた夢想家のフランチェスコ。政治的にも経済的にも低迷していた当時のフィレンツェを、実際家のフェルディナンドが苦々しく眺めていたのは容易に想像がつきます。
 彼は思ったかもしれません、この世に夢想家はいらない、必要なのは現実主義に立った指導者であると。そしてまた、彼の胸中には、トスカーナ大公の座という権力への意思もちらついたことでしょう。
 それだけではありません、フェルディナンドはかつて、聖職者の身分を備えた者であったにもかかわらず、兄の妻であるビアンカに言い寄り、激しく拒絶されたことがあったのです。つまり、自尊心の強いフェルディナンドにとって、ビアンカは許せない女となっていたのでした。
 ある晩、彼は恐ろしい計画を実行します。フランチェスコとビアンカの晩餐の食事とワインに毒を盛ったのです。はじめにフランチェスコが、次いでビアンカが床に伏し、やがて絶命します。
 その結果実現したのが、トスカーナ大公への就任と、冒頭に書いたフェルディナンドの結婚でした。このあたりの経緯については、中田耕治氏の著書『メディチ家の人びと‐ルネサンスの栄光と頽廃』(河出文庫)の「枢機卿の陰謀」の章に詳しいので、興味のある方はお読み頂ければと思います。
 黒い噂の顛末は以上のようなことですが、これはイタリア史における謎として、近年まで取沙汰されてきました。最近の調査では、二人は毒殺ではなくマラリアに感染したのではないか、という説が有力なようですが、黒い噂が完全に払しょくされたわけでもないようです。
 フェルディナンドの治世となり、兄フランチェスコのもとで一時停滞していたフィレンツェの政治と経済は勢いを取り戻しました。この枢機卿上がりで実務家肌のトスカーナ大公、フェルディナンドが本当に兄夫婦を殺害したのか否か、真実は神のみぞ知るということでしょう。この噂を信じるか信じないかによって、またこの音楽の印象も微妙に違ってくるかも知れません。

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